しばた雑記

主に登山の事を書いてます!

頂上をねらえ!次回予告「第9座」

登山路はたわみにたわみ、そして放たれた。

弾丸とは正にこれ。登山とは正にこれ。

筑波の山で荒れ狂う新年の慶びと感謝。

伝統も革新も登山者の糧となり、波にのまれ過去へと流され行く大河の一滴

山行譚の堆積は、歴史となり神話となる。

次回「筑波山:登り初めの衝突」

筑波山は時代の裂けめに打ち込まれたくさび。

頂上をねらえ第8座!三ツ峠山:登り納め後のほうとう

○ 2021/12/26(日)


12月某日立川くんから12/26(日)に登山の誘いがあった。この時期でも雪がなくて、あまりハードではなさそうな千葉の鋸山と山梨の三ツ峠山をリクエストしたところ、三ツ峠山に行く事になった。

事前に久しぶりに走ったら筋肉痛になった。

 


当日5:00に迎えに来てもらい合流。7:00ごろに登山口近くの河口湖到着した。

早く登り過ぎても仕方ないので、8:00頃から登り始める。

8:45頃に展望台らしき所に到着。左側に雲が掛かっているが富士山がよく見える。

ここはロープウェイの駅で、カチカチ山の話をモチーフにした公園になっていた。うさぎとたぬきの人形やブランコ、武田信玄(?)のエリアもあった。

公園を通り過ぎたらアスファルトで舗装された道路を横断する。

基本的になだらかで歩きやすいが、時たま急になるので息をきらしながら立川くんの後をついていく。

後方に富士山が見える時もあるが、ほとんど林の中を歩くので眺望はさほど良くない。

三ツ峠山にはいくつかの登山コースがあるがら、今回のコースは他のコースと比べてやや距離が長い事と年末という事もあってか他に登山客がおらず静かだ。

山頂付近になると雪が残っていた。

アイゼンは持っていったが、気をつけて歩ける範囲だったので使わなかった。

山頂付近はいくつかの山小屋があり、ベンチでお湯を沸かして食事をしている人もいた。

雪を気をつけながら歩いて、11:00頃に山頂に到着。

富士山がよく見えるので、写真を撮った。常に近くにあるはずだが、基本的に林の中を歩くので富士山が見える個所は限られている。

 


下山は同じ道を下る。途中で立川くんが登山バッジを買った。

 


帰りは昼食の都合もあり、ロープウェイを使った。

ロープウェイの駅はカチカチ山推しだった。

 


昼食は山梨名物のほうとうにした。

出てくるまでに時間かかったが、美味しかった。しかし、ほうとうと言えば野菜がたくさん入っているイメージだったが少なめだった。

 


楽しい登り納めとなった。

頂上をねらえ!次回予告「第8座」

登り納めのカチカチ山。聳え立つ富士山。野菜の少ない山梨名物。

その時、うめきを伴って流れ出る賛辞。

ほうとうの不動。

麺もスープも飲み干し、店は野菜を隠している。

血塗られた過去を、見通せぬ明日を切り開くのは登山のみか。

次回「三ツ峠山:登り納め後のほうとう

兎は狸に向かう折れた針。

頂上をねらえ第7座!涸沢:地鳴りのテント泊

○ 2021/09/19〜2021/9/20

2020年の9月に涸沢カールでテント泊をしようと立川くんと話していたが、天気が悪く延期になっていた。1年越しの実現である。


準備

お盆の休み中に立川くん宅で打合せをし、9/19(日)〜20(月)の連休を使って実施する事にした。

本番までに山でトレーニングをするつもりだったが仕事の都合で気持ちが乗らず結局トレーニングはしないままであった。一応、山には行かないものの週1回ゆっくりペースで走った。

出発は18(土)の夜だったが、当日の午前中にパッキング、午後に会社に行きつつカモシカスポーツで食料とネックゲイターを購入。

18:10頃に立川くんが迎えに来てくれて、そのまま逃げるように上高地に向かった。

夕食はコンビニでパンを買って食べた。

 

圏央道から高速に乗り、松本ICで降りコンビニで翌日の朝食を買い、22:00頃に沢渡の駐車場に到着。

立川くん曰く、あまり車がいないとのこと。

睡眠スペースの準備をして、22:50頃に就寝。

明日は3:30頃に起床予定。


9/19(日)

予定通り3:30頃に起床。車の台数が増えていたと思う。朝食を食べるなど出発の準備をして、タクシー乗り場に並ぶ。

車両規制のため沢渡からタクシーかバスでないと上高地までいけないのだ。加えて5:00にならないと通行制限が解除されないため、タクシー待ちの登山客が並ぶ事になる。

4:30には並んでいたが、前から3グループ目だった。タクシーが来るのが遅れているらしく、最初の1台が来てから待つ事になった。

結局4:50頃にタクシーに乗り、5:20頃に上高地に到着。1名相乗りした事で料金4600円が3分の1となった。その人は帝国ホテルで途中下車なのに1600円払ってくれた。


上高地では立川くんが登山届けを書いてくれてる間にトイレに行ったが混んでいたため断念。

5:30頃に出発。


2年ぶりに上高地を歩く。

6:57徳澤園到着。

7:43横尾到着。

10:24涸沢ヒュッテ到着。

YAMAPで記録を取ったが、使い方がよく分からず上記のような記録。

横尾までは多少のアップダウンはあるが基本的に平坦で歩きやすい。

朝露が木から降ってくるのだが、光の加減でそこだけ雨が降ってるように見えて幻想的な雰囲気もあった。

横尾を出発するとゴツゴツ道になり、本谷橋を過ぎると本格的な登りが続く。

4ヶ月ぶりの登山はハードで、息が上がり顔面が痺れた。立川くんの言葉に甘えて一歩一歩自分のペースで登る。

中々、涸沢につかないと思ってしまったが、それはトレーニング不足なのだろう。

途中で今回初導入のインスタ360GO2で撮影をしながら登った。

怪我をする事もなく無事に涸沢に到着。


台風一過で天気は非常に良く、雲ひとつない。日焼け止めを塗ってなかったので、ここにきて塗った。

テントを設営したが久しぶりで、紐の結び方を忘れていた。

無理に紐を追加してしまったが、別に元からのガイラインだけで設営できたと思う。

後紐は追加でもう2本購入する。

テント設営後は、涸沢ヒュッテに行き、売店で昼食。自分はラーメン、立川くんは牛丼だ。見晴らしのいい席は埋まっていたので、適当な席で食べる。

昼食後は、涸沢小屋に行き、ジョッキパフェを食べようと思ったが、今年はもう販売をしていないとのことだった。ジョッキパフェとはビールのジョッキに盛り付けられたパフェの事で、名物品らしい。次回は食べよう。

仕方ないのでペプシの生コーラというのが自販機で売っていたので、それで手を打つ。炭酸が強くなく飲みやすかった。

また涸沢ヒュッテに行き売店横のベンチで雑談をしてテント場に戻った気がする。

テント場に戻ってからは特にやる事がない。家族に今日泊まりの旨を伝えてなかった気がしたので、電話メールを試みるが電波が悪く通じない。仕方なく諦める。

その後に藤岡弘、がプロデュースした藤岡、珈琲を立川くんに振る舞う。こちらもすっきりしており飲みやすかった。

確かそのまま夕飯に突入。オニシのカルボナーラとコンビニで買ってそのままだった塩むすびにした。お湯を沸かしたものの、想定よりも足りなかったため立川くんから分けてもらう。スープパスタ状になってしまったが、美味しくいただいた。塩むすびも普段なら絶対に買わないが、立川くんのおすすめという事でたべてみたら美味しかった。

食後にも時間はあるので、再び涸沢ヒュッテへ。夜の撮影タイムの下見でもある。このタイミングで自宅に連絡がつながり、母に今日は泊まっていく旨を伝える事ができた。

その後、売店で涸沢コーヒーを買って飲んでいたら地震が起こった。

 

17:18頃岐阜県高山市で震度4の地震が発生した。ちょうど涸沢コーヒーを飲んでいる時だった。結構衝撃的な出来事だったはずだが、仔細はよく覚えてない。

地震後すぐに、土煙と音を立てて落石が発生した。時間差でだいたい3〜4ヶ所で落石が発生していたように思う。

小屋の方かはわからないが、テント場に向かって逃げろー!と言っている人がいた。

涸沢はカールというだけあって山に囲まれているので、仮に岩が転がってくればその全てのゴールにテント場があるイメージだ。

地震は何回も起こりその度に音を立てて岩が崩れた。落ち着いてくると寒さもあり震えた。

すかさず動画を撮り始める人が多かったが、自分は目で見る事に精一杯だった。


地震が起こるときにズーンという重低音が起こるようなのだが、小屋のボイラーも動き出すときにやっぱりズーンというので、その時は全員が身構え、ボイラーだとわかるといやいやいやみたいに安堵するのが、滑稽だった。


しばらく立川くんと様子を見ていたが、落ち着いた頃合いを見て18:00頃に一度テント場に戻った。立川くんもこんなことは初めてと言っていたが、とても落ち着いていた。

そして、こんな時でも夕焼けは綺麗だった。


その後立川くんの夜景撮影に付き合って再び涸沢ヒュッテへ。

18:30頃パトロールの方が明日の朝に下山道を確認するので、それまでは下山を見合わせてほしいと話していた。


自分もインスタ360go2でタイムラプスを撮影するなどして過ごす。


この時一際大きな揺れがあったが、特に被害はなかったようだ。

最悪、テント場に戻らず野宿のような形で一晩明かす事になることも考えたが、特に小屋側からのアナウンスは特になく普通に売店の営業をしていた。

立川くんが撮影している時にテレビがある場所を発見したので、そこで初めて高山市で震度4の事を知った。


19:30頃にテント場に戻り、テントで夜を明かす事にする。何かあったら声を掛け合う事にした。

空には天の川が見えていたと思う。

寝る前にヘッドランプ、ハンドライトの電池を全て新品に買えた。

最悪テントを飛び出すことを考えて、ダウンを上下を来て寝袋のファスナーはフルオープンにして寝る事にした。

寝ている最中にもズーンという重低音と揺れが何度かあり、岩がゴロゴロと転がる音も聞こえた。一応起きてテントをファスナーを開けて様子を見たりもしたが、他に様子を見ている人はいなかった。

朝まで被害が出ることは無かった。

 

そして、別のトラブルが発生していた。今年の5月に買ったばかりのエアマットに穴が空いていたらしく、背中にダイレクトに地面の感触が伝わり寝心地が悪かった。起きては空気を吹き込みを2.3回繰り返した気がする。

結果的に熟睡は出来なかった。


4:00頃起床。

月明かりもありヘッドライトは最小限の灯りで行動できた。

立川くんも起きており、まずは朝食の準備。

本日の朝もオニシドライフーズでチキンライスだったと思う。お湯を沸かしている間に荷物を片し始める。

このテント泊では石のテーブルと尻にフィットする石があったおかげで快適に過ごすことができた。

よく見るとパトロールの方かは不明だが、ライトを照らして、奥の山の斜面を登っている人がいた。道の安全を確認しているのだろう。

もう一品スープ的な物があればより満足のいく食事ができたと思う。

食事後にテントを撤収して、リュックに詰め込む。多少歪だが仕方あるまい。


リュックを背負い、涸沢ヒュッテへ。5:30頃から日が登りモルゲンロートを見ることができた。

もう少し早目に出発をすることもできたが、パトロールからのアナウンスの有無が分からなかったので、モルゲンロートの観察をしながら待っていたのだ。

結局アナウンスがあったかは分からないまま、5:40頃に涸沢ヒュッテを出発。


この前後に何人かが下山を始めていた。

最初の頃は集団下山だったが、本谷橋が近づくにつれメンバーが減っていった。

途中で石畳のきれいな箇所があり、こここそ昨日の地震で崩れていそうな場所だったのだが、特に影響はなかったようだ。

途中でパトロールの方とすれ違う。

念のために川沿いは、気をつけてくださいというような事を言われた。通ってはいけないと言うことはいわれなかったので、道は大丈夫なのだろうと思い進む。

トロールの方達以外にも何組かが登ってきていたので、勇気があるなと思いつつも道は大丈夫なのだろうと思った。

下山道を気にしながら歩いていたが、上高地から沢渡やその先の道路も気になっていた。深度4という事でトンネルが崩落する事はないだろうと思っていたが、もし通れない場所がある場合は西に迂回して帰るためかなり時間がかかると立川くんが言っていた。


6:25 本谷橋通過。

休憩はせずに通過した。橋の上は涼しい。ここまで一緒だった人は着替えるのかここで取るようだった。

ここから道はなだらかになる。


7:10横尾山荘に到着。

母に無事の旨をラインするなどして休憩。

7:16横尾山荘出発。

川沿いを歩いて行くのだが、山側から落ちてきて割れたであろう岩が何箇所かで見られた。

この記録を書いている時に思ったが、パトロールの方が言っていたのはこの事なのだろう。

横尾以降はほぼ平坦だ。


8:01徳澤園到着

念願のソフトクリームを食べるのだ。

店内の券売機を使うのかと思ってソフトクリームのボタンを探していたが見当たらない。立川くんが直接注文する事を教えてくれたので、カウンターで注文するとすぐに出てきた。

店の入口のそばに荷物を下ろして2年越しのソフトクリームを堪能する。

噂に違わぬうまさ!全体的に味が濃く、ずっしりしている感じ。かと言って油っぽい訳でもない。コーンの部分も美味かった。


8:15徳澤園を出発

この辺くらいから右足それぞれの指の付け根が痛くなってきたような気がする。


8:50明神到着

足の痛さもあり明神で休憩。


9:00明神出発

小梨平キャンプ場

9:31着

休憩はせずにスルー。


河童橋

9:38着

河童橋前で写真撮影。


特に休憩をすることもなく即タクシー乗り場向かう。30分ほどの移動中に微睡む。


沢渡駐車場に到着後に汗き拭き、11:00頃には着替えて出発。


途中で助手席で寝そうになりながらも、SAで昼食を食べた。

短い渋滞に巻き込まれながらも15:00〜16:00に自宅に到着してなくて解散した。

帰ってからニュースを見たがこの日は連休の最終日と言うこともあり、結構な渋滞をしていたようだ。立川くんの判断通り即帰ってきて良かったと思う。


帰宅後は勢いそのままにテント類を干して、リュックの汗を拭い、着ていたもの洗濯をした。これは次の休みに先延ばししなくて良かった。


今回は5月の雲取山以来約4ヶ月ぶりの登山であった。思ったよりも登れてしまったと思うが、やはりの登りでは息を切らしながらの行動となった。今回は平坦な道が多かったので誤魔化しきれたが、これ以上の山は今のままでは無理だろうと思う。


次回の登山は決まってないが、日光の男体山をソロで登りたいと思う。

頂上をねらえ!次回予告「第7座」

嵐がふかねば雲が晴れぬとするなら、空を走る風となろう。

長い登りの果てにしか安らぎのテント場がないものなら、それの血のたぎりに体を任せよう。

それぞれの荷物を担い、男達が昂然と顔を上げる。

次回「涸沢:地鳴りのテント泊」

転がる岩は山で止まるか、地に落ちるか?

頂上をねらえ第6座!雲取山:初めてのテント泊

初のテント泊の場として選んだのは雲取山

立川くんと打ち合わせをして5/3(月)の深夜2:30に合流する事にした。

5/2(日)にパッキング。着替えは雨に濡れた時用に持ったが、基本は着替えなしで行動するつもり。当日の朝食、昼食、夕食、翌日の朝食を持った。

大宮の石井スポーツでテント内で使うマット、バフのネックカバーを購入した。

総重量は約15〜16kgほど。

椅子は置いていく事にした。

 


5/3

この時期、都内は緊急事態宣言がでており、山梨県側も県営駐車場を閉鎖するなどしていた。登山口近くの駐車場も閉鎖されている可能性があったがweb上で確認ができなかったため、とりあえずいく事にした。

20:00頃に寝て2:00頃に起床。

午前2:30に立川くんと合流。

久しぶりに立川君の車に乗り、移動。

登山口の途中でカカシの大群を見つけて鳥肌が立つ。

途中のコンビニで朝食を買って社内で食事。水筒を忘れたので、ペットボトルの水を買って水筒代わりにする。

登山口の鴨沢バス停から徒歩15分くらいの駐車場が空いていたので車を止めたが、駐車場は既に殆どが埋まっていた。つまり緊急事態宣言中だが、登山客はいるのだ。

トイレを済ませて出発。

 


鴨沢バス停まで15分ほど歩く。その間にストックの準備をして最初から登り始めから使う事にする。

5:20頃に鴨沢バス停から出発して休憩を挟みながら進む。

堂所あたりまでは緩やかに登っていくが、堂所以降は急な登りも出てくる。立川くんに待ってもらいながら自分のペースで登る。

七つ石小屋で少し長目に休んで9:38頃に雲取山に登頂。今回で3回目の登頂だ。

 


今回の幕営地は雲取山荘で、山頂から20〜30分程降ったところだ。

10:05頃に雲取山荘に到着。テント場の受付は13:00かららしいが、適当な場所に張って良いとの事。

我々はおそらくテン泊登山者としては上位2.3番のようで、小屋から近いところに張る事ができた。

荷物は重かったが肩が痛くなることもなく到着できた。ウエストハーネスが合ってるのかよく分からず、歩いてる最中に何回かしめ直した。

 


初めて山でテントを張るのに精一杯でカメラで設営風景を撮ったり、出来上がったテントの写真を撮ったりはしなかった。

立川くんに手伝ってもらいなんとか設営完了。自分のテントの貼り方は立川流でペグは使わず、グラウンドシートも固定もしない。ガイラインを石に繋いで固定するやり方だ。意外とピント張れた。しかし、ロープワークがいい加減だったので要練習。


荷物をテント内に広げる。

早速前日に買ったテントマットに疑問符が付いた。リュックを足の下に引けばテントマットは短くて良いのではという事だ。リュックを自分の体の横に置くスペースはないため、足の下に引いたのだが、それだと寝床がフラットにならないのだ。マットが短ければリュックの上に足を置く事でフラットになると思う。しかし今にして思えばシュラフごとリュック内に足を突っ込めば多少はマシになると思うので、次回はそうしよう。


テントで横になり少し仮眠を取る。思ったよりも斜めになっていたが、この時は寝られた。


起きた後に山荘前のテーブル席を借りて昼食を作った。今回はカレーうどんにした。缶詰のカレーと冷凍うどんを水に入れて煮るだけだ。その後はサトウのご飯を入れて少し煮てカレー雑炊にした。

うどんは冷凍して持っていったが、すでに溶けていた。

快速旅団のコーティング済みメスティンを初投入したのだが、感触は良好でカレーの油もお湯を沸かして拭き取ればきれいになった。

慣れない事なので準備と片付けに手間取るが、立川くんはやはり早い。

この辺りの食事セットのコンパクト化や手際は練習が必要だ。

反省点として、箸やスプーンは以前に会社の人達からもらったチタン製のものを使ったのだが、メスティンの汚れが落ちやすいコーティングにはよくないため、これも買い足す必要があるようだ。

あと食材を適当に入れてしまったが、保冷ができるバッグに入れた方が良いと思う。

また、サトウのご飯は別にそのまま持って来ずに中身だけ持ってくればよかったと思う。

それとゴミ袋用のジップロックも持ってくるべきだった。


食事後は電波を求めて山頂に再び行く。しかし、電波は入らず。

写真を撮ったり、立川くんと話したりする。

立川くんは近々籍を入れる予定なのだが、その事に全く触れられず申し訳無いことをした。


雲取山荘に舞い戻り、テント場の受付。またしてもテント内で横になって、夕飯の支度を開始する。特にやることも無い。

夕飯はストーブを地面に直置きして、テントの前で作った。自宅にあったフリーズドライビーフシチューと小豆の缶詰に水と餅2つを入れてお汁粉にした。訳の分からない組み合わせである。

実は朝食は無しで出発する事にしたので、その分を消費する必要があったのだ。

ビーフシチューは少し味が濃かったが、美味かった。


その後片付けをして、トイレに行き就寝。

しかし、中々寝付けなかった。立川くんが20:00頃に写真を撮っていたが、起きて立ち会う気力は無かった。


初日はYAMAPの記録によると5時間29分の行動だった。

 

2日目

これを書いているのは9月なので、細かいことは覚えてない。

4:00頃に起床。地面が斜めになっており熟睡はできなかったように思う。

ヘッドランプをつけて、テントの撤収。とりあえず折り、くちゃくちゃでもいいので袋に入れた。風が強かったせいかフライシートは殆ど濡れてなかった。

昨晩結構食べたので、朝食は無し。

トイレに行き、4:52頃に雲取山荘テント場を出発。立川くんが3時間くらいで下山かなと言っていた。正直無理だと思っていたが、YAMAP上で3時間9分で下山した。

途中は七ツ石小屋を経由せず途中で大きな休憩は取らなかった。

 

途中のコンビニで朝食を買い、食べつつ帰宅。


足の裏、脛、太腿、足の付け根の外側と内側、尻、と下半身が満遍なく筋肉痛。

5/6(木)の19:00頃からフラつくような感じがあった。5/7(金)になってもなんとなく体にだるさがあるような気がする。

枕がなく頭が落ち着かなかったので、調達しようと思った。

頂上をねらえ!次回予告

大いなる偶然が全ての始り。芽生えた意識は行動を、行動は情熱を生み、情熱は理想を求める。理想はやがて愛に行きつく。愛は全てに仮借なく干渉し、創造の嵐を育む。

そして放たれた雷は誰を撃つ?と言っても天候の意味では無く。

次回「筑波山:テント泊装備演習」

必要たりえない荷物は無い。